私がまだ横浜関内で飲み屋を営んでいた頃、34歳ぐらいだったかな、
開店時、その業界ではど素人だった負債がボディブローのように効いてきて、店の健全な運営に陰りが見えてきた。
そもそも開店前には、飲食業の開業をサポートする企業に依頼して、開業のノウハウや料理のレシピなどをけっこう高いサポート代を払って(数百万)学んでいたのだが、
業者に完全お任せで、店の設計から施工、厨房機器の購入,レンタル、食材納入業者の選定などもしていたため、妙な違和感のある高級店みたいになってしまった。
今思うと、地域のお勤め人の稼ぎでは敷居の高すぎる価格設定で開店したので、最初はほんとうにお客が来なくて、毎日胃が痛くなるような気持ちでお客が来てくれるのを待っていた。
どこも不景気なんだろうかなと思っていたのだが、激安居酒屋やスナックなどには、それなりにお客が入っていた。
切羽詰まった私はとうとうやってはいけない近隣店との「値下げ合戦」に参戦してしまった。
生ビールの値段を下げたり(生ビールは原価率が高くてあまり儲からない)、やっときてくれたお客の要望で、イワシの丸干しとか、店構えからして全然合っていないメニューが増えてしまったりした。
高級店ぽい感じの店の換気扇の排気口から、しょっちゅう魚を焼く臭いがしてたらね。。
しかし、そんなであっても高い家賃(月36万円ぐらい)、仕入れ代、人件費は変わらずで完全にヤバイ状況になっていた。
やむを得ず人件費を削って、自分で厨房に入りながらフロアもこなさねばならない日々。
また、夜来てくださるお客様層開拓のためにランチ営業も行いましたが、これまた赤字覚悟のメニュー内容でますます切羽詰まっていくし、私も朝9時からランチの準備に取り掛かり、帰宅は深夜4時とかだったので案の定、完全に体調を崩してしまいました。
その先は当然の帰結でした。
お勤めの方が定年後は小さな店をやりたいとよく聞きますが、安易に業者に開店までの全工程をお任せしてはいけません。
彼らは納入業者などからリベートを受け取るシステムで、その店がある地域や客層に合わない高価なものをど素人に勧めたりするからです。
天井にBOSEのモニタースピーカーが取り付けてあるような店、コースターも店名入りの凝ったデザイン、ワインもこれまたボトルに店名入りのハウスワイン。
イワシのミリン干しの臭いがしている店なのに。。
この辺から私の人生が大きく変わっていく感じだったのです。
若いころは法律関係の仕事に就きたいと思っていたのにね。
まぁそれも分不相応だったのですけどね。